Helter-SKelter

アニメとゲームが生き甲斐の偏屈者

「仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル」で色々と思ったこと(ネタバレ込み否寄り長文)

「復活のコアメダル」を完成披露舞台挨拶・最速上映で2月末に見ていたオタクのお気持ち表明。

4月1日からの上映館もあるけど、3月12日の公開から2週間過ぎてるので、ネタバレには無配慮です。

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3週目だけ特典欲しかったから2回見た。
ウソ。友達の分の特典も確保するために3回見た。

はじめに

アリ3:ナシ7 結末としてはまあアリ、10周年記念作品としてはナシ」

放送当時からのリアルタイム勢で客演も含めて視聴、フィギュアやCSMオーズドライバーといったグッズを人並みに買い漁る熱量と思い入れはあるけど、TTFCスピンオフ作品の視聴、インタビューや舞台挨拶、今作のパンフレット(買えてない)とか、作品の全容は網羅していないので、情報の不足や誤認識があっても、読み飛ばしたりダメ出ししたりしてほしい。

良かったところ

◆劇場で見られたこと

仮面ライダー特有の「歌」になっている変身音が、劇場のいい音響で聞けるのはとても良い。地方格差があることだし、本作固有の評価ポイントではないけど。

「タジャドルエタニティ」の変身音を劇場で聞けたのは「劇場版エグゼイド トゥルー・エンディング」の「ハイパームテキ」と同率歴代一位。

◆ゴーダという存在

映司を延命させていたものの、二度と誰かの命を奪われたくない「どこまでも届く俺の腕」という映司の欲望を理解できずに、手段でしかないオーズの力に溺れて「あれ言ってよ!歌は気にするなってやつ!」とはしゃいで、やがて離反してしまう、人造グリード・ゴーダ。

この設定は、まだまだ料理のしがい・話を広げる余地があったと思う。同人・二次創作やってるオタクの考え方だよコレ

◆キャストの総出演と好演

声優のアフレコで成立する「電王」、レジェンドライダーからの継承を謳いながら、そのレジェンドが出たり出なかったりする「ジオウ」のように、「変身前のキャストが出演しない。変身後のライダーの姿しか出てこないか、役自体が存在しない」という客演の方法は、残念ながら珍しいものではない。

その点本作は、10年越しの続編・完結編というだけのことはあって、4体のグリード、クスクシエの知世子さん、鴻上会長と秘書の里中さん、脇役も含めてレギュラー陣が全員登場するので、安心して見られた。

アンク/三浦涼介の変わらない容姿が一際目立つけれど、メズール人間態/矢作穂香(旧:未来穂香)も、2010年放送当時13歳⇒2022年現在25歳という年の差から、流石に顔つきは大人びたものの、しゃべり方や佇まいは当時のままだ!と感心した。

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これが2010年
https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1080

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これが2022年
https://www.youtube.com/watch?v=1oGNhRQ911w

そして火野映司/渡部秀も、「ゴーダが演じる偽映司」は、抑揚を抑えた感情の乏しいサイコパス的な声色で微妙な違和感を演出。日野聡が喋ってるゴーダ映司」は、大げさな身振り手振り、仮面ライダーゴーダ変身直前の強大な力に打ち震える仕草、悪役然とした立ち振る舞いが映司とは別人。同じようで違う、一人三役、四役の見事な演技を披露してくれたと思う。

しかし悲しいことに、キャストがなまじ好演をしたばかりに、悪い点が一層鼻につく。

良くなかったところ

無神経に感じたスーツの流用

後の話が長いのと、あまり言及している人を見ない気がするので、真っ先に書いておく。

テレビシリーズ終盤やVシネマ、放送終了後の劇場版やファイナルステージでは、既存スーツの流用、塗り直し(リペ/リペイント)やパーツの部分的な新造・切り貼り(リデコ/リデコレーション)は慣例化している。予算や時間の都合もあるので、仕方のないことだと思う。

ただ、今回のゴーダへの感想は、だいぶ違う。

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オーズ祭り&アギレラ祭り!! 更にCHRONICLEカブト解禁!! - バンダイ キャンディ スタッフ BLOG

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頭部はブラカワニのコブラに新規の仮面パーツ、肩はタマシー、手足(脚・すね)はスーパータトバ、足(つま先)だけアナザーオーズ。一応、ムカデ、ハチ、アリという、ゴーダのモチーフから外れない範囲だが、ほぼ全てオーズの別形態から流用されている。

流石に頭部は一見では分かりにくくなっているものの、ゴーダの後頭部が映るシーンをハッキリと確認して以来「ブラカワニかぁ……」とため息混じりの感想が出るようになってしまった。

肩のタマシーはモモタロスから生み出したもので、本人と同様、MOMOの字が刻まれているが、そのMOMOを丁寧にグリード4人のカラーでなぞっている。「見なかったフリ」をする、あるいは、それこそ10年前の劇場版、それも悪評高い「春映画」で一度登場したきりのものなので、本当に知らない(元ネタを知らなかった、言われるまで気がつかなかった)のも視聴者なら無理のない話だとして、作り手はどう考えているのか。デザインを理解した上で、その配色を決めたのか?他のプランはなかったのか?

手足のスーパータトバからの流用には、オーズからの進化、より強い敵であることをわかりやすくタトバの強化で表す意図もあったのかも知れないが(オタク特有の無駄な深読み)、映司の(推定)最強形態だったスーパータトバのパーツを敵に流用するのは、冒涜的に思える。スーパータトバ再出演の可能性が下がる点も×……と言いたいところだったが、客演についてはもっと別の問題があることが公開後に分かった。

あくまで自分が第一に見たいのは「仮面ライダー」というヒーロー、着ぐるみ・ガワの方だし、そうでなければおもちゃだって売れない。そのデザインについて「流用が無神経だな」と感じたのは、非常に残念だった。

(※ゼロワンの1型⇒滅アークスコーピオンの流用も、設定を考えると結構ひどいと思ってるのですが、リアタイも完走してないので情動に結びつかないです)

火野映司の死、欲望と命の価値観の変化・改変

言わずもがな。死んでしまった仮面ライダーはシリーズに大勢いるけれど、よりによって10周年記念作品でこの結末を描くのは、たちが悪い。

第一に、映司のまぶたをアンクに閉じさせる演出が単純に悪趣味。憧れのヒーローをそこまで念入りに生々しく殺さなくていい、仲間に業まで背負わせないでほしい。この深い業をエモいと思える感性は、自分には無い。

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ポスターに掲げられた「いつかの"明日"に手が届く!」というキャッチコピーは、ファン(私)にとっては軽い言葉ではなく、期待を大きく煽るものだ。

TV最終回ではアンクの死で「いつか……もう一度」という言葉に留まっているものの、その後の「MOVIE大戦MEGAMAX」(フォーゼ&オーズ)では、アンクが未来からタイムトラベルしてくる=未来での復活が確定すると共に「いつかの明日にこのメダルが戻って、アンクにまた会える」「俺達は必ず、お前がいる明日へ行く」という台詞で、強い印象を残した。

更にその後の「平成ジェネレーションズFINAL」(ビルド&エグゼイド・2017年)で一時的に復活したシーンでも「今日この日だったんだな。お前がいる明日って」と、このフレーズが繰り返し使われ、アンクの復活、映司との再会を、誰もが「いつかの明日」に望んでいたことは疑いようもない。

これは復活のコアメダル製作発表を見た時の私。

……ここまでは「期待を裏切られた」というだけの話だけど、その死に関する描写全体にも疑問が残る。

古代王との戦闘中に迷い込んできた少女をかばった映司は瀕死に陥り、人造グリード・ゴーダによる憑依・延命を受けていた。紆余曲折を経て暴走したゴーダを撃破し、瀕死のままアンク、比奈たちや、鴻上ファウンデーションが保護していた件の少女と再会。無事を確認できた映司は「俺の腕がやっと届いたんだ」の言葉を最後に、息を引き取る。

テレビで何度も回想シーンに出てきた「目の前で助けられなかった少女」のやり直しが意識されているのは当然として、映司はただ一人の別人を助けただけで満足する器だったのか?テレビ最終回の「どこまでも届く俺の腕。それって、こうすれば(他人の腕をつかめば)手に入ったんだ」という、他者の力も借りていく、際限ない救済の欲望を表した言葉から、ここへ行き着く筋道が、どうにも立てられない。一年間を通したオーズの成長・解答を否定された気分になる。

楽して助かる命がないのは、どこも一緒だな」の本作での引用にも引っかかるものがある。「なりふり構っていられない、生きるために必死であがく」という初変身の決意を表した、オーズ第1話の名台詞。対して本作では、アンクの復活と入れ替わりに映司の死亡(ゴーダの延命)が発覚して、気持ちの整理がつかない、素直に喜んでいられないという比奈へのアンクからの「映司は自分が何とかする」趣旨の慰め、「命を救うには多大な労力や対価が必要(等価交換)」という、全く違う意味で使われているように聞こえた。

www.youtube.com

キャラクターの変化・改変

台詞や行動に違和感を覚えるのは、死んでしまった火野映司だけではない。

無遠慮な助けを呼ぶ声に「映司君は神様じゃない!」と悲鳴を上げていた比奈は、「映司君がいてくれたら……」と戦いの全責任を背負わせようとしている。バースが頼りないからって行方不明の心配をするなら、他の言い方があると思う。

上空から落下する映司に「なんでも一人で背負い込むのはやめろ!俺達の手をつかめ!」とカッターウイングで飛んで駆けつけた後藤さんは、映司に成り代わろうするゴーダに「火野は自分の命を投げ出しても誰かを救おうとした、お前にそれができるのか?」と何故か自己犠牲の素晴らしさを説く、痛々しいキャラクターにされている。

「欲望と命の価値観」を筆頭に、小林靖子の当時の脚本に対して、今回の脚本家・毛利亘宏が導き出した見解の相違、解釈違いを否定できない。「増殖するドライバー」のような設定の粗も相まって「映司の死という結末ありきで作られた脚本」のように穿った見方をされるのも、致し方ないと感じる。

設定の粗、脳内補完・補正の必要性が高すぎる

特撮は「子供だましではないだけで、所詮は子供向け」と思って、設定の粗について多少は見なかったことにしておきたいけど、10周年を謳う前作ありきの本作では、相応に作り込んでほしかった。

「映司がどうしてメダルを直せたのか」は、理屈としては納得できないこともないけど、MEGAMAXでは鴻上ファウンデーションの研究に協力して、アンク復活の方法を探している設定があったので、いくら映司のものとはいえ、願い・欲望という安直な手段で復活させるのは、今までの積み重ねを無視していて無粋だと思う。「色々探したんだけど、見つける前に死んじゃった。でも、そこで願い事をしたら、叶った」のようにフォローの一言ぐらい入れてほしかった。

※以下9割方、パンフも読んでない私が自分を納得させたり諦めの落とし所を探るために言い聞かせている捏造です

Q.古代王(王)はどうやって復活したの?
A.知らん 特に理由も無くある日突然……でもいいでしょう テレビ版のグリードに同じく
Q.王はどうしてテレビ版のグリードと一緒に復活しなかったの?
A.知らん 800年前に暴走した本人だし、封印が強くて時間差で復活したとかで……
Q.王はどうしてオーメダルを持ってたの?
A.異次元的などこかに封印されててドクター真木撃破したときに生まれたワームホールが繋がったらしい
Q.ワームホールってMEGAMAXだと2051年にポセイドンを生んで、それを現代で撃破した映司がプトティラ以外のメダルを持ってるよね?
A.知らん……知らんて……
Q.王はどうしてプトティラのメダルを持ってたの?ワームホール入る前に割れたよね?
A.知らん 王がグリードを復活させるついでに直したとかで……映司も割れたメダル直してたし……
Q.カザリもメズールもガメルも意識のある核のメダルは最終回よりも前に割れたよね?
A.知らん 別人やモブ怪人だったら寂しいじゃん……そこは許してやれよ……

Q.映司はどうしてアンクのメダルを直せたの?
A.知らん 自分自身がグリードになったり、ゴーダの素材になったり、グリードに匹敵する欲望を持っている≒コアメダルに等しい力があるとかで……
Q.ゴーダの素材になった時点でアンクのメダルを直そうと思わなかったの?
A.知らん 今際の際に火事場の馬鹿力が出たとかで……

Q.王はどうしてオーズのままなの?封印されてたオーズドライバーはアンクが持ってたから2個あるよね?
A.知らん 王が使ってるのは解除できない呪いの装備、王が封印されたときの残滓・絞りカスみたいなものとかで……
Q.タジャニティのドライバーはどこから出てきたの?映司のドライバーはゴーダが使ってるから3個あるよね?
A.知らん 本物はゴーダの吐き出した映司が持ってて、ゴーダの分は絞りカスみたいなものとかで……

Q.どうして医者の伊達さんが瀕死の映司を見て棒立ちしてるの?
A.知らん 助からないと思ったのか設定を忘れてたんでしょ
Q.どうしてアンクは信吾さんから荒廃した世界情勢の情報を引き出さなかったの?ゴーダは「歌は気にするな」から映司の記憶ばっちり見てるのに
A.知らん 設定を語るのにあの方法がベストだと思ったか設定を忘れてたんでしょ

Q.どうして映司がかばった子供は無事なのに映司は行方不明になってたの?
A.爆発で映司だけものすごく飛んでいったりでもしたんでしょ
Q.どうしてあのシーン誰もいなかったのに「映司が子供をかばって行方不明になった」経緯を比奈たちは知ってるの?
A.カンドロイドの中継映像見てたとかで……なんで誰も助けに行かないのかは何もわからん……

Q.映司はどうして最後アンクを追い出したの?アンクも映司に無理矢理でも憑依し続けて延命すればよかったんじゃない?
A.「命」を実感したアンクを、完全復活ではない、自分に縛り付ける不完全な形で生かすことを、映司は望まないと思う……というより、私好みじゃない
(まあ瓦礫の下敷きになりそうになっただけの信吾さんを劇中ずっと乗っ取ってるけど……)
ここでアンクが憑依し続けたなら、少なくとも死者が出ない分、本作そのままよりハッピーなエンディングだったと思う気持ちは否定しない。

尺の短さと無駄遣い、見所の少なさ

「平成ジェネレーションズFINAL」(ビルド&エグゼイド)の客演も5年前だし、それこそテレビ版から10年ぶりに見る人もいるだろうから、おさらいとしてテレビ版から回想シーンを入れることは否定しないけれど、それで事実上水増しをしているのに、たった59分しかないのはどういうことか。

ただでさえ短い時間の中、「比奈とアンクがアイスを食べるシーン」でゴーダの裏切りを示唆した直後に「映司の偉大な自己犠牲(解釈違い)をゴーダに説く後藤」のように本筋と関わらない無駄なシーン、「お前を選んだのは得だった、間違いなくな」をアンクから映司へ回想で流したのをもう一度繰り返す無駄なシーンなどがある上で、見所・見せ場も少ない。

ウヴァ以外のグリードは、1人あたりの台詞が5回あるか無いか程度。一般レジスタンス相手にイキがった後、廃墟バーでたむろして、ウヴァがオーズを襲撃して返り討ちに遭ったら、王がウヴァ以外も全員吸収して4人全員一斉に退場。せっかくのキャストを無駄遣いしていると言わざるを得ない。一応、古代王や人造グリードという今までに無いキャラの方がボスとして風格があるし、全員同時のスケジュール調整も難しかったのかもしれないと思えば、まだ仕方ないと割り切れる範囲。

最たる問題は伊達・後藤のバースコンビ。レジスタンス撤退の時間稼ぎでグリードのサンドバッグになった後も、グリード吸収態の王に抵抗、後藤にバースXの投入を促した伊達が時間稼ぎを申し出るものの、王はゴーダ&アンクがプトティラで即撃破、バースXが到着したのは裏切ったゴーダが既に仮面ライダーゴーダに変身した後。新装備のカニアームも全く敵わずに、床ペロ要員になっている。バースがやられ役というのはMEGAMAXでも半ばネタとして描かれていたものの、今回CLAWsの一つも使わないのは舐めプレイ・縛りプレイにしか見えないし、10年ぶりのパワーアップも何一ついいことなし。「見てくれも設定のスペックも弱っちいけど、変身までのドラマティックな展開や迫力ある画で魅せる」(例:仮面ライダージョーカー、ドライブ超デッドヒート)という前例があるだけに、やる気があるのか?と思ってしまった。

おわりに

10年を経てなおキャストが再集結したのは喜ばしいことで、演技力にもケチはつけようがない。しかし、自分は「続編が見られただけで嬉しい」と無条件に幸福を感じられる人間ではなかった。

個人的に望んでいた結末ではないし、擁護できない点(個人的に嫌いな点)が多々あって、名作と讃えることは断じて無い。駄作と一蹴するほどでもないけれど、そう評価されても致し方ないと思う出来だと思う。

とはいえ、呪詛を吐き続けるなら忘れた方がマシ、良くも悪くも諦めが肝心だと思う。そもそも、あらゆる作品はそういうものだと思っている。「MOVIE大戦CORE」(オーズ&ダブル・特にオーズ編)もほぼ黙殺されてるし、仮面ライダー」というブランド自体「お前たちの平成って醜くないか?」と自虐ネタにされているので……。

この作品が好きな人も、好きじゃなかった人も、お互いに尊重しあってほしい。